河原口の歴史

河原口の名前の由来

「河原口(かわらぐち)」の名前は、相模川と中津川、小鮎川の三川が合流して大きな河口を形成することに由来し、江戸時代には河原口村と呼ばれるようになりました。
この地は当時、対岸の本厚木とともに相模川にかかる「厚木の渡し」の渡船権を持つ場所で、大山街道、八王子街道の交点にもあたり、江戸時代、街道を往来する人々が相模川を渡るために「厚木の渡し」が利用され、賑わっていたといわれています。

市域旧村の行政界
市域旧村の行政界

河原口の歴史

弥生時代中期にはこの地の付近の自然堤防上に、人々が生活していた痕跡が発掘調査によって見つかっています。

旧・大和警察署河原口派出所
旧・大和警察署河原口派出所
昭和46年(1971年)3月撮影

位置、地勢に関しては、海老名市の中西部に位置し、東は国分(こくぶ)・大谷(おおや)、西は相模川をはさんで厚木・金田(かねだ)(厚木市)に、南は中新田(なかしんでん)、北は上郷(かみごう)に隣接します。

河原口国鉄小田急厚木駅周辺
河原口国鉄小田急厚木駅周辺
昭和46年(1971年)3月撮影

旧・神奈川県蚕業センター
旧・神奈川県蚕業センター
昭和46年(1971年)3月撮影

また当時の厚木駅周辺では、小田急電鉄と当時の日本国有鉄道相模線が交差し、大正15年に神中鉄道(現相模鉄道)の厚木駅が生まれ、昭和2年には小田急電鉄が河原口駅として開業した歴史があります。現在では相模線と小田急線の駅が利用されているほか、貨物線である相鉄厚木線の厚木操車場があります。

河原口駅前タクシー乗り場
河原口駅前タクシー乗り場
昭和46年(1971年)3月撮影

旧厚木自動車学校が運営する海老名ドライバーズスクールも移転前は河原口にありましたし、近隣の中新田には、神奈川県の蚕業センターもありました。(昭和24年、蚕業試験場の本所が藤沢町から中新田に移転)

旧・厚木自動車学校
旧・厚木自動車学校
昭和46年(1971年)3月撮影

また、現在の河原口の中西部では住宅が多く、店舗が一部あり、東部の一部では水田も見られます。


参考文献
『海老名の地名』 / 『海老名市史10 えびな歴史ものがたり』

取材協力
海老名市立歴史資料収蔵館

写真所蔵・提供
海老名市教育委員会